黒沼ユリ子

黒沼 ユリ子
生誕 (1940-06-04) 1940年6月4日(83歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
学歴 プラハ音楽芸術アカデミー卒
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
音楽教育家
担当楽器 ヴァイオリン
ウィキポータル クラシック音楽
ポータル クラシック音楽

黒沼 ユリ子(くろぬま ゆりこ、1940年6月4日 - )は、日本の女性ヴァイオリニスト東京都出身。兄は元テレビ東京プロデューサーの黒沼昭久(1933年3月29日 - )。

来歴

1940年、一男三女の末っ子として東京に生まれる[1]。8歳の頃よりヴァイオリンを習い始め、小学5年生のときに「全日本学生音楽コンクール」小学生の部で1位となった[1]。中学生からは「日本音楽コンクール」に挑戦し[1]桐朋女子高校の音楽科1年生だった1956年に同コンクール第1位および特賞を受賞した。3年生のとき、日本と国交を再開したチェコスロバキアの留学生試験に合格し[1]1958年よりプラハ音楽芸術アカデミーに留学する。プラハでいくつかの賞を受賞した後、首席で卒業し、以降世界各地で演奏活動を行っている。1980年より2012年まで、メキシコシティコヨアカン地区に「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を開校した[2]メキシコを本拠に世界各地で音楽活動を行っている。1988年フェリス女学院大学大学院の教授に就任。2007年メキシコで音楽家に与えられる最高の賞とされるモーツァルトメダルを受賞。

主なディスク

  • 「ユモレスク/スーヴニール」(1981年、日本コロムビア):1968年録音
  • 「我が故郷」(1988年、フォンテック)
  • 「黒沼ユリ子の世界―ドボルジャークフォーレ、スークを弾く」(1989年、フォンテック)
  • 「メキシコのヴァイオリン小品集」(Quindecim recordings/キングインターナショナル):2003年メキシコで録音。ヨゼフ・オレホフスキ(ピアノ)と共演。

著書

  • 「アジタート・マ・ノン・トロッポア 激しく,しかし,過ぎずに」(1978年、未來社
  • 「メキシコからの手紙―インディヘナの中で考えたこと―」(1980年、岩波新書
  • ドヴォルジャーク物語―わが祖国チェコの大地よ」(1982年、リブリオ出版
    • 『ドヴォルジャーク その人と音楽・祖国』冨山房インターナショナル, 2018
  • 「メキシコの輝き―コヨアカンに暮らして」(1989年、岩波新書
  • 『メキシコのわが家へようこそ』主婦と生活社 1996
  • 「ヴァイオリン・愛はひるまない―プラハからメキシコへ」(2001年、海竜社)
  • 『黒沼ユリ子 ヴァイオリンで世界から学ぶ』(のこす言葉KOKORO BOOKLET) のこす言葉編集部構成・編. 平凡社, 2019.8

出演

  • ラジオ深夜便「ワールドネットワーク」(メキシコからのレポート担当の時期があった。)

出典

  1. ^ a b c d 池田理代子宮城まり子石垣綾子ほか著『わたしの少女時代』岩波書店岩波ジュニア新書 3〉1980年、33-48頁。
  2. ^ “黒沼ユリ子さん、メキシコの音楽学校閉校へ”. 読売新聞. (2012年6月3日). http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120602-OYT1T00468.htm 2012年6月3日閲覧。 

関連項目

外部リンク

  • アカデミア・ユリコ・クロヌマ公式ウェブサイト(スペイン語、英語)
  • 悪いことは良いことのためにしかやってこない - 2012年6月7日
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