歌川重丸
歌川 重丸(うたがわ しげまる、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。
来歴
歌川広重の門人とされる[1]。『浮世絵備考』は「歌川国丸の門弟、一説に広重の門人とするは非なり」と記すが、国丸は文政12年(1829年)には没しており、重丸の作画期とは開きがある。作画期は嘉永の頃で広重風の風景画を残す。作品は極めて少ない。落款の「丸」の署名の仕方が国丸のものと似るという。
作品
- 「江戸名所 御殿山満花」 横大判錦絵揃物 ※嘉永5年(1852年)
- 「江戸名所 飛鳥山花盛」 横大判錦絵揃物 ※嘉永5年
- 「江戸名所 御茶之水水道橋」 横大判錦絵揃物 ※嘉永5年
- 「霞ヶ関」 横大判錦絵
- 「鬼娘退治」 大判2枚続 ※慶応3年(1867年)2月、丸平版、「好斎重丸戯画」の落款あり 太田記念美術館所蔵
出典
- ^ 『浮世絵師伝』及び『原色浮世絵大百科事典』第2巻、※49頁による