利根はる恵

利根 はる恵(とね はるえ、1924年11月15日[1] - (2005-04-27) 2005年4月27日(80歳没)[2])は、日本の女優。演技派の脇役。利根 はるゑとも表記される。本名は飯野 静子(いいの しずこ)[2][3]千葉県千葉市出身[2]

人物・経歴

1924年、東京府生まれ[注釈 1]松竹少女歌劇団松竹少女歌劇学校を1年で中退し、松竹大船入社[2]。芸名は池上鶴代

丸山定夫苦楽座を経て[2]1947年新宿ムーラン・ルージュに入り[1][2]1949年東宝『今日われ恋愛す』でデビュー[2]

1950年新東宝入社[1]、『熱泥地』で初主演[2]

1952年大映と本数契約[1]山本薩夫監督の『真空地帯』の娼婦を演じた[2]

1953年、現代俳優協会に参加[2]、『ひめゆりの塔』などに出演。その後、第一協団に所属[4]

1955年日活と専属契約[1]。『沙羅の花の峠』などに出演する。

1958年、ムーランプロの設立に参加[5]。その後、フリーに転じ[2]荷車の歌』など出演、その後は舞台、ドラマにも活動を広げる。

1959年東映と本数契約[1]

1960年、東宝現代劇と契約[2]

1963年時点では東京俳優生活協同組合に所属[1]

1971年、松竹現代劇と契約した後、フリー[2]

2005年4月27日、胆管がんのため東京都杉並区の病院で死去[3]。80歳没。晩年はおぎいくこ事務所に所属していた[3]

主な出演作品

映画

  • 今日われ恋愛す (1949年、C・A・C)
  • 熱泥地 (1950年、新東宝
  • 群狼の街 (1952年、大映東京)
  • いとし子と耐えてゆかむ (1952年、東映東京
  • 満月三十石船 (1952年、東映東京)
  • 真空地帯 (1952年、新星映画社、北星)
  • ひめゆりの塔 (1953年、東映東京)
  • ひろしま (1953年、北星=日教組プロ)
  • 雲ながるる果てに (1953年、重宗プロ=新世紀映画、松竹配給)
  • からたちの花 (1954年、日活
  • 日の果て (1953年、八木プロ=青年俳優クラブ、松竹
  • 肉体の反乱 (1957年、日活)
  • 狂った関係 (1957年、日活)
  • 8時間の恐怖 (1957年、日活、監督鈴木清順) - オンリー(黒人兵の情婦)
  • 悪魔の爪痕 (1958年、日活)
  • 血の岸壁 (1958年、日活)
  • 荷車の歌 (1959年、全国農村映画協会)
  • 秘密 (1960年、東映東京)
  • 安寿と厨子王丸(1961年、東映動画) - 菊乃[6]
  • 黄色い風土 (1961年、ニュー東映
  • 柔道一代 (1963年、東映) - 女将・お俊
  • 昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年) - 清川千代
  • 決着 (1967年、東映東京)
  • 男はつらいよ 寅次郎忘れな草 (1973年、松竹)- 松岡リリーの母
  • 理由 (2004年、アスミック・エース)

テレビドラマ

その他の番組

脚注

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注釈

  1. ^ 千葉県生まれとしている資料もある[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g 『タレント名鑑』《NO2》芸能春秋社、1964年、153頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『利根 はる恵』 - コトバンク
  3. ^ a b c “利根はる恵さん死去/女優”. 四国新聞. (2005年4月30日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20050430000416 2023年4月15日閲覧。 
  4. ^ a b 「映画界」『現代日本新人物事典 : 大臣からファッション・モデルまで』《1956年度版》近代社、1955年、394頁。 
  5. ^ 「藝能ニュース」『芸能画報』4月号、サン出版社、1958年。 
  6. ^ “安寿と厨子王丸”. メディア芸術データベース. 2016年10月29日閲覧。

外部リンク

  • 日本映画データベース 利根 はる恵