伏見宮貞清親王

伏見宮貞清親王
伏見宮
続柄

称号 後妙荘厳院
身位 親王
敬称 殿下
出生 慶長元年(1596年
死去 承応3年7月4日(1654年8月16日
配偶者 宇喜多秀家の女
子女 邦尚親王
邦道親王
貞致親王
重慶親王
顕子女王
照子女王
梅子女王
父親 伏見宮邦房親王
母親 北野神人・民部焏本郷盛久女。家女房。顕寿院。
役職 兵部卿
サイン
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伏見宮貞清親王(ふしみのみや さだきよしんのう)は、江戸時代初期の皇族世襲親王家伏見宮第10代当主。伏見宮第9代当主邦房親王第一王子。後陽成天皇猶子宇喜多秀家の女で前田利長の養女、おなぐの方(おなくの方)[1]

慶長10年(1605年)12月24日に元服し、二品兵部卿に任ぜられる。

王子女
  • 御息所:宇喜多秀家の娘
  • 女房:安藤定元の娘
  • 生母:北野神人・民部焏本郷盛久女。家女房。顕寿院。

脚注

  1. ^ 『伏見宮御系譜』より。邦尚親王の母。『慶長日件禄』に慶長9年(1604年)11月14日に嫁いだことが記されている。

参考文献

四親王家御系譜

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