パラソル大隊

パラソル大隊
Batalion Parasol
ワルシャワ蜂起の際に撮影されたパラソル大隊の隊員。
中央の少女はマリア・スティプルコフスカ=ホイェスカ(ポーランド語版)
右の少年はクシシュトフ・パレステル(Krzysztof Palester)
活動期間 1944年
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
忠誠 ポーランド地下国家(ポーランド語版)
軍種 ポーランド国内軍
兵科 レジスタンス運動
主な戦歴 ワルシャワ蜂起
感状 ポーランド軍功勲章(英語版)銀十字章
指揮
著名な司令官 ヨゼフ・シュテパインスキー(英語版)
識別
部隊章
テンプレートを表示

パラソル大隊ポーランド語: Batalion Parasol)とは、第二次世界大戦中に対独抵抗組織であるポーランド国内軍が有した部隊の1つ。パラソル大隊の隊員は、その大半がシャレ・シェレギ(ポーランド語版)(Szare Szeregi, 「灰色の隊列」。スカウト運動のメンバーによる抵抗運動組織)出身者だった。1944年のワルシャワ蜂起では、ラドスロウ・グループ(英語版)の一部として市街に展開した。

歴史

1943年、国内軍組織の整理を担当していた特殊部隊チホチェムニ(英語版)隊員アダム・ボリス(ポーランド語版)大尉は、新たな部局としてアガット(ポーランド語版)を設置した。アガット(Agat)とは「対ゲシュタポ」(ポーランド語: Anty-Gestapo)の略語であった。隊員タデウシュ・コストルシェフスキー(Tadeusz Kostrzewski)の逮捕を経て、1944年1月2日には名称をペガス(Pegaz)と改めた。この名称はポーランド語でペガサスを意味するが、同時に「反ゲシュタポ」(ポーランド語: Przeciw Gestapo)の略語でもあった。その後、更なる隊員の摘発を経て、部隊はパラソル大隊として再編された。「パラソル」という名称は落下傘を意識したもので、将来的にはポーランド第1独立落下傘旅団(英語版)に合流することを予定していた。

パラソル大隊は1943年から1944年にかけて複数の軍事作戦を実施した。ワルシャワ地区の統治に参加していたゲシュタポ将校や総督府高官の暗殺もパラソル大隊の任務であった。複数実施された暗殺計画の中でも特に有名なのは、ワルシャワ地区の親衛隊及び警察指導者フランツ・クッチェラ少将の暗殺であろう(クッチェラ作戦(英語版))。1944年2月、クッチェラはワルシャワ地区中央にあった親衛隊庁舎前にて射殺された[1]

大隊の指揮官としては、元詩人のヨゼフ・シュテパインスキー(英語版)が特に知られる。

ポーランド軍の特殊部隊であるJWK(英語版)のC支隊は、パラソル大隊の伝統を受け継いでいる。

  • JWKのC支隊の部隊章
    JWKのC支隊の部隊章

脚注

  1. ^ Franz Kutschera

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、パラソル大隊に関連するカテゴリがあります。
  • Batalion AK Parasol - パラソル大隊の記念サイト
  • Warsaw Uprising Witnesses: Batallion Parasol
  • The Warsaw Rising Museum
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
国立図書館
  • ドイツ
  • アメリカ
  • ポーランド