ジルベルト・シモーニ


ジルベルト・シモーニ
Gilberto Simoni
基本情報
本名 Gilberto Simoni
ジルベルト・シモーニ
愛称 Gibo
生年月日 (1971-08-25) 1971年8月25日(52歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
身長 170cm
体重 62kg
選手情報
所属 引退
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 クライマー
プロ経歴
1994
1995–1996
1997
1998
1999
2000–2001
2002–2004
2005
2006–2007
2008–2009
2010
ジョリーコンポニビリ
アキ
MG Maglificio
カンティーナトロ
バラン
ランプレ・ダイキン
サエコ
ランプレ・カッフィータ
サウニエルデュバル・プロディール
セッラメンティ・ディキジョヴァンニ
ランプレ・ファルネーゼ=ヴィーニ
主要レース勝利
ジロ・デ・イタリア 総合優勝 (2001,2003)
ジロ・デ・イタリア 通算8勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算2勝
ツール・ド・フランス 通算1勝
最終更新日
2010年6月25日

ジルベルト・シモーニ(Gilberto Simoni、1971年8月25日-)は、イタリアトレンティーノ=アルト・アディジェ州トレント県ジョーヴォ出身の自転車プロロードレース選手。

ジロ・デ・イタリアでは総合優勝2回、2位1回、3位4回という輝かしい成績を誇り、ステージレースを中心に活躍した世界トップクラスのクライマー。2006年から始めたマウンテンバイク競技でも好成績を収めている。

経歴

1993年のベビー・ジロ(アマチュア版ジロ・デ・イタリア)優勝とイタリア選手権アマチュアチャンピオンの実績を引っさげ、翌1994年にプロへと転向。しかし、一向に勝利を挙げることができず、毎年のように移籍を繰り返す苦難の日々が続いた。

しかし1999年ジロ・デ・イタリアでステージ1勝を挙げ、総合でも3位に入り、才能が開花。2000年からはランプレ・ダイキンのエースとしてジロ・デ・イタリアで再び総合3位。ブエルタ・ア・エスパーニャでも1勝を挙げた。

そして2001年ジロ・デ・イタリアで2位のアブラハム・オラーノに7分以上の差をつけて総合優勝を達成。ジャパンカップなど数々のレースでも活躍を見せた。

続く2002年ジロ・デ・イタリアでも第11ステージで勝利を飾るが、コカイン使用疑惑により途中で出場停止となってしまう[1]

だが2003年には雪辱を期して挑んだジロ・デ・イタリアでステージ3勝。ステファノ・ガルゼッリヤロスラフ・ポポヴィッチらを抑え2回目の総合優勝を果たし、ポイント賞マリア・チクラミーノも獲得[2]。さらにツール・ド・フランスでもステージ優勝を達成した。

2004年ジロ・デ・イタリアでも第3ステージで勝利するなど、好調だったが、このときはチームメイトでシモーニのアシストを務めていたダミアーノ・クネゴが絶好調。陽動のために先行させたクネゴに大差をつけられた末、最終的にステージ4勝をあげての総合優勝を許してしまう。シモーニも総合3位に入る活躍を見せたとはいえ、これによりチーム内には2人のエースが存在する状態になり、クネゴとの関係は微妙なものになった。ツール・ド・フランスでは久しぶりに復活したチームタイムトライアルのゴール直前で落車。ルールを熟知していなかった監督の指示によりシモーニを待たなかったチームメイトから大きく遅れてゴールし、一人だけ大きくペナルティタイムを受けるという屈辱を味わった[3]

2005年はクネゴが春先から不調だったことを受けて、ジロ・デ・イタリアでは単独エースとして活躍。パオロ・サヴォルデッリとの総合優勝争いの末、総合2位に入った。しかし相変わらずクネゴとの不仲がささやかれるなか、2006年にサウニエルデュバル・プロディールへ移籍。クネゴとは袂を分かち、ジロ・デ・イタリアで4回目となる総合3位に入り、7度目の表彰台に登った。

2007年ジロ・デ・イタリアでは第17ステージで距離10km、平均斜度11.9%、最大斜度22%という激坂ゾンコラン山への山頂ゴールを制してステージ優勝し、総合では4位となる。

2008年からは、プロフェッショナルコンチネンタルチームのセッラメンティ・ディキジョヴァンニに移籍。ジロ・デ・イタリアでは第19ステージでの遅れが響いて総合10位に終わるものの、モルティローロ峠を越える第20ステージでステージ2位に入るなど、健在ぶりを示した。

2009年ジロ・デ・イタリアでは第15ステージで大きく遅れ、総合24位に終わった。

2010年、古巣のランプレ・ファルネーゼ=ヴィーニへの復帰が噂されていたが[4]4月19日にチームへの加入が発表され[5]、同時にジロ・デ・イタリア限りでの現役引退も発表された。

現役最後のレースとなったジロ・デ・イタリアでは、チマ・コッピのガヴィア峠を越える第20ステージでステージ優勝することになるヨハン・チョップと共に一時先頭を走行するなどの見せ場を作り、総合69位で完走して現役生活に別れを告げた。

マウンテンバイク競技

MTB競技中のシモーニ

2006年からマウンテンバイク競技にも参戦しており、初のレースとなったランピロンガのクラシックカテゴリーでいきなり優勝。イタリア選手権マウンテンバイクマラソンでも優勝を遂げている。

2007年には世界選手権マウンテンバイク・マラソンXCで6位に入っており、2008年北京オリンピックMTB種目への出場を目指していた。

エピソード

  • ダミアーノ・クネゴとの確執については、2004年ジロ・デ・イタリア第18ステージでクネゴがシモーニを置いていこうとした時に、罵詈雑言を浴びせられたのがきっかけだったと、ガゼッタ・スポルト紙のインタビューにクネゴが答えている。現在はシモーニとクネゴの関係は修復されている。
  • シモーニは2006年のジロ・デ・イタリアでイヴァン・バッソとも遺恨を残している。第20ステージでバッソとシモーニは、勝負どころのモルティローロ峠でアタックをかけ、下りに入ったところで、ダウンヒルが苦手なバッソが協調して下ることを提案。了承したシモーニが大半を先導する形で峠を下ったが、バッソは最後の坂でアタックをかけてステージ優勝してしまう。結果を出せずに焦っていたシモーニは、この日のアタックで総合優勝を確実にしたバッソが、下りで協力したお礼に勝ちを譲るものと思っており、ゴール後のインタビューで「彼は不正をした」と激怒[6]。表彰式や翌日の最終ステージでも彼らが視線を交わすことはなかった。
  • 引退レースとなった2010年のジロ・デ・イタリアでは、ヴェローナで行われた最終ステージのタイムトライアルに、サイクルジャージの下に襟付きのシャツとピンクのネクタイを着こんで出走。ゴール後はジャージを着替えた上で、家族を伴い表彰式用のステージで行われた引退式に臨んだ[7][8]

所属チーム

  • 1994年 ジョリーコンポニビリ
  • 1995-1996年 アキ
  • 1997年 MG Maglificio
  • 1998年 カンティーナトロ
  • 1999年 バラン
  • 2000-2001年 ランプレ・ダイキン
  • 2002-2004年 サエコ
  • 2005年 ランプレ・カッフィータ
  • 2006-2007年 サウニエルデュバル・プロディール
  • 2008-2009年 セッラメンティ・ディキジョヴァンニ
  • 2010年 ランプレ・ファルネーゼ=ヴィーニ

主な成績

グランツール

  • ジロ・デ・イタリア通算8勝
  • ツール・ド・フランス通算1勝
  • ブエルタ・ア・エスパーニャ通算2勝
  • ジロ・デ・イタリア 総合優勝(2001年、2003年) ポイント賞(2003年)
  • ジロ・デ・イタリア 総合2位(2005年)
  • ジロ・デ・イタリア 総合3位(1999年、2000年、2004年、2006年)
  • 2000年 ジロ・デ・イタリア ステージ1勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ ステージ1勝
  • 2001年 ジロ・デ・イタリア ステージ1勝 ブエルタ・ア・エスパーニャ ステージ1勝
  • 2002年 ジロ・デ・イタリア ステージ1勝
  • 2003年 ジロ・デ・イタリア ステージ3勝 ツール・ド・フランス ステージ1勝
  • 2004年 ジロ・デ・イタリア ステージ1勝
  • 2007年 ジロ・デ・イタリア ステージ1勝

ステージレース

ワンデイレース

マウンテンバイク

  • 2006年 イタリア選手権マウンテンバイクマラソン 優勝 ランピロンガ優勝
  • 2007年 世界選手権マウンテンバイク・マラソンXC 6位

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ おばからペルー土産としてもらったキャンディーが原因と後に判明。cyclingnews.com2002年12月4日付特集
  2. ^ このときの勝利は「The Quest」というドキュメンタリー映画になっている。
  3. ^ この年のチームタイムトライアルでは実際のタイムは順位を決めるだけに採用され、順位によりトップのチームから10秒づつのタイムが加算されるだけだったが、集団から遅れた選手には実際にかかったタイムがそのまま適用されるという変則ルールだった
  4. ^ cyclingnews 2010年1月12日付記事
  5. ^ Simoni joins Lampre-Farnese Vini
  6. ^ この騒動は各紙も大きく取り上げている。cyclingnews.com2006年5月27日付記事"
  7. ^ セレモニー用のジャージに着替えたジルベルト・シモーニ(ランプレ) - cyclowired.jp・2010年5月31日
  8. ^ Gilberto Simoni with his family - cyclingnews.com

外部リンク

  • ジルベルト・シモーニ - サイクリングアーカイヴス(英語)
   










1909  イタリア王国の旗  ルイジ・ガンナ

1910  イタリア王国の旗  カルロ・ガレッティ
1911  イタリア王国の旗  カルロ・ガレッティ
1912  イタリア王国の旗  アタラチーム[注 1]
1913  イタリア王国の旗  カルロ・オリアーニ
1914  イタリア王国の旗  アルフォンソ・カルツォラーリ
1915  第一次世界大戦
1916  第一次世界大戦
1917  第一次世界大戦
1918  第一次世界大戦
1919  イタリア王国の旗  コスタンテ・ジラルデンゴ

1920  イタリア王国の旗  ガエターノ・ベローニ
1921  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1922  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1923  イタリア王国の旗  コスタンテ・ジラルデンゴ
1924  イタリア王国の旗  ジュゼッペ・エンリーチ
1925  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1926  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1927  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1928  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1929  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ

1930  イタリア王国の旗  ルイジ・マルキジオ
1931  イタリア王国の旗  フランチェスコ・カムッソ
1932  イタリア王国の旗  アントニオ・ペゼンティ
1933  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1934  イタリア王国の旗  レアルコ・グエッラ
1935  イタリア王国の旗  ヴァスコ・ベルガマスキ
1936  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1937  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1938  イタリア王国の旗  ジョヴァンニ・ヴァレッティ
1939  イタリア王国の旗  ジョヴァンニ・ヴァレッティ

1940  イタリア王国の旗  ファウスト・コッピ
1941  第二次世界大戦
1942  第二次世界大戦
1943  第二次世界大戦
1944  第二次世界大戦
1945  第二次世界大戦
1946  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1947  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1948  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1949  イタリアの旗  ファウスト・コッピ

1950  スイスの旗  ユーゴ・コブレ
1951  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1952  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1953  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1954  スイスの旗  カルロ・クレリーチ
1955  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1956  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール
1957  イタリアの旗  ガストネ・ネンチーニ
1958  イタリアの旗  エルコーレ・バルディーニ
1959  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール

1960  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1961  イタリアの旗  アルナルド・パンビアンコ
1962  イタリアの旗  フランコ・バルマミオン
1963  イタリアの旗  フランコ・バルマミオン
1964  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1965  イタリアの旗  ヴィットリオ・アドルニ
1966  イタリアの旗  ジャンニ・モッタ
1967  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1968  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1969  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ

1970  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1971  スウェーデンの旗  イェスタ・ペーテルソン
1972  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1973  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1974  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1975  イタリアの旗  ファウスト・ベルトリオ
1976  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1977  ベルギーの旗  ミシェル・ポランティエール
1978  ベルギーの旗  ヨハン・デミュインク
1979  イタリアの旗  ジュゼッペ・サローニ

1980  フランスの旗  ベルナール・イノー
1981  イタリアの旗  ジョヴァンニ・バッタリン
1982  フランスの旗  ベルナール・イノー
1983  イタリアの旗  ジュゼッペ・サローニ
1984  イタリアの旗  フランチェスコ・モゼール
1985  フランスの旗  ベルナール・イノー
1986  イタリアの旗  ロベルト・ヴィセンティーニ
1987  アイルランドの旗  ステファン・ロシュ
1988  アメリカ合衆国の旗  アンドリュー・ハンプステン
1989  フランスの旗  ローラン・フィニョン

1990  イタリアの旗  ジャンニ・ブーニョ
1991  イタリアの旗  フランコ・キオッチョーリ
1992  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1993  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1994  ロシアの旗  エフゲニー・ベルズィン
1995  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1996  ロシアの旗  パヴェル・トンコフ
1997  イタリアの旗  イヴァン・ゴッティ
1998  イタリアの旗  マルコ・パンターニ
1999  イタリアの旗  イヴァン・ゴッティ

2000  イタリアの旗  ステファノ・ガルゼッリ
2001  イタリアの旗  ジルベルト・シモーニ
2002  イタリアの旗  パオロ・サヴォルデッリ
2003  イタリアの旗  ジルベルト・シモーニ
2004  イタリアの旗  ダミアーノ・クネゴ
2005  イタリアの旗  パオロ・サヴォルデッリ
2006  イタリアの旗  イヴァン・バッソ
2007  イタリアの旗  ダニーロ・ディルーカ
2008  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2009  ロシアの旗  デニス・メンショフ

2010  イタリアの旗  イヴァン・バッソ
2011  イタリアの旗  ミケーレ・スカルポーニ
2012  カナダの旗  ライダー・ヘシェダル
2013  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2014  コロンビアの旗  ナイロ・キンタナ
2015  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2016  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2017  オランダの旗  トム・デュムラン
2018  イギリスの旗  クリス・フルーム
2019  エクアドルの旗  リチャル・カラパス

  1. ^ 第4回大会のみ総合優勝はカルロ・ガレッティジョヴァンニ・ミケレットエベラルド・パヴェージからなるチームに与えられた。