ケサンの戦い

ケサンの戦い
戦争ベトナム戦争
年月日1968年1月21日 - 4月8日
場所南ベトナムクアンチ省(広治省)フオンホア県(向化県)ケサン(渓生)
結果:双方とも勝利を主張
交戦勢力
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ベトナム共和国の旗 ベトナム共和国
ラオス王国
南ベトナムの旗 南ベトナム解放民族戦線
ベトナム民主共和国の旗 ベトナム民主共和国
ラオスの旗 パテート・ラーオ
指導者・指揮官
アメリカ合衆国の旗 ウィリアム・ウェストモーランド
アメリカ合衆国の旗 ラスボン・M・トンプキンズ(英語版)
アメリカ合衆国の旗 デイビット・E・ラウンズ(英語版)
ベトナムの旗 ヴォー・グエン・ザップ
南ベトナムの旗 チャン・クイ・ハイ(英語版)
南ベトナムの旗 レ・クアン・ダオ(英語版)
戦力
45000 40000
損害
戦死 5600以上
戦傷 16579以上
戦死 不明(1602の死体が発見)
戦傷2469
ベトナム戦争
リスト
  • 南ベトナム内における浸透戦
    南ベトナムにおける初期浸透ゲリラ戦
    外国軍の介入
    アプバクの戦い - ゴコンの戦い - ヒエップホアの戦い - チェンラの戦い - 34A作戦 - ロンディンの戦い - クェトタン202作戦 - ナムドンの戦い - アンラオの戦い - ビンギアの戦い - プレイク飛行場の戦い - ソンベの戦い - バギアの戦い - ドンソアイの戦い - ストライク作戦 - プレイメの戦い - ハンプ作戦 - ガントイの戦い - イア・ドラン渓谷の戦い - ゲーム・ワーデン作戦 - クリンプ作戦 - ホワイト・ウィング作戦 - アシャウ渓谷の戦い - シャカムマイの戦い - ヘイスティングズ作戦 - ドゥクコの戦い - ロンタンの戦い - ビーバー・ケージ作戦 - アッテンボロー作戦 - ディックホース作戦 - シーダー・フォールズ作戦 -トラビンドンの戦い - バービー作戦 - ジャクソンシティ作戦 - ユニオン作戦 - 881高地の戦い - マルール1号/2号作戦 - ユニオン2号作戦 - バッファロー作戦 - 7月2日の戦い - ホン・キルドン作戦 - スイフト作戦 - ウィーラー作戦 - 第一次ロクニンの戦い (テト攻勢) - メディーナ作戦 - オンタンの戦い - ダクトの戦い - テト攻勢 - ケサンの戦い - バンホエイサンの戦い - サイゴンの戦い - フエの戦い - ロンベイの戦い - リマ85監視哨の戦い - 5月攻勢 (ベトナム戦争) - カムドクの戦い - スピーディー・エクスプレス作戦 - デューイ渓谷作戦 - 1969年のテト - ハンバーガー・ヒルの戦い - ビンバの戦い - ジェファーソン・グレン作戦 - ラムソン719作戦 - バンドンの戦い - 723高地の戦い - マリー・アン基地の戦い - イースター攻勢 - 第一次クアンチの戦い - 第二次ロクニンの戦い - アンロクの戦い - ドンホイの戦い - コントゥムの戦い - 第二次クアンチの戦い
    外国軍撤退後の戦い
    スベイリンの戦い - フォクロンの戦い - ホー・チ・ミン作戦 - バンメトゥトの戦い - ニューライフ作戦 - スアンロクの戦い - チュロンサの戦い - サイゴン陥落
    航空戦
    ファームゲート戦術 - チョッパー作戦 - ランチハンド作戦 - ピアス・アロー作戦 - 南タイホア橋爆撃 - バレル・ロール作戦 - ポニー・エクスプレス作戦 - フレイミング・ダート作戦 - ローリング・サンダー作戦 - スティール・タイガー作戦 - アーク・ライト作戦 - タイガー・ハウンド作戦 - シャッド・ライト作戦 - ボロ作戦 - ポップアイ作戦 - ナイアガラ作戦 - イグルー・ホワイト作戦 - ジャイアント・ランス作戦 - コマンドー・ハント作戦 - メニュー作戦 - フリーダム・ディール作戦 - パティオ作戦 - ラインバッカー作戦 - ライバッカー2号作戦 - ホームカミング作戦 - ベビー・リフト作戦 - イーグル・プル作戦 - フリークエント・ウィンド作戦
    海上戦
    トンキン湾事件 - マーケット・タイム作戦 - ブンロ湾事件 - シー・ドラゴン作戦 - シー・ロード作戦 - 西沙諸島の戦い
    カンボジア侵攻及びラオス戦
    カンボジア作戦 - コンポンスプーの戦い - プレイベンの戦い - スヌオルの戦い - リップコード基地の戦い - テイルウィンド作戦 - チェンラ1号作戦 - チェンラ2号作戦 - マヤグエース号事件
    秘密作戦
    フェニックス作戦 - ソンタイ捕虜収容所救出作戦
  • 表示

ケサンの戦い(ケサンのたたかい, : Battle of Khe Sanh, ベトナム語Chiến dịch Đường 9 - Khe Sanh / 戰役塘9-溪生)とは、ベトナム戦争において1968年1月以降アメリカ軍北ベトナム軍が南北ベトナム間の非武装地帯(DMZ)から25キロメートル南にアメリカ軍が設営したケサン戦闘基地を巡って繰り広げた戦いである。

背景

ベトナム戦争期間中、南ベトナム政府を支援するアメリカ軍が最も北ベトナムに近い地域に設けたケサン戦闘基地は、1,200メートルの滑走路を備えた約2平方キロメートルの基地で、周囲のS881高地、861高地、558高地、N881高地の4箇所に前衛陣地を備えていた。ケサン基地は南北ベトナムを結ぶ国道9号線の北側にあり、北ベトナムからラオスに通じる北ベトナム軍の補給路であるホーチミン・ルートの破壊を目的にしていた。北ベトナムはテト攻勢に先立ち、ホーチミン・ルートの安全確保とテト攻勢の作戦地域となる南ベトナムの人口密集地域からアメリカ軍を出来る限り引き寄せる事を求めて正規軍2個師団を投入してケサン基地の包囲殲滅を画策した。

戦いの経過

1967年4月から5月にかけてケサン基地周辺で小規模な衝突があったが、北ベトナムが1968年1月31日からのテト攻勢に備えて本格的に同地の攻略を開始したのは1968年1月中旬からだった。北ベトナムの正規軍第304師団が基地の西方から、第325師団が基地の北方から砲撃開始と同時に塹壕により、アメリカ海兵隊2個連隊と南ベトナム政府軍レンジャー部隊が守るケサン基地に迫った。もともとケサン基地の東は北ベトナム軍の支配下にあり、2万の兵力で西と北を圧迫されたアメリカ軍は補給路を断たれ、15年前のインドシナ戦争でフランス植民地軍が一敗地にまみれたディエン・ビエン・フーの戦いと同じように空路での補給を余儀なくされた。

1月31日からのテト攻勢開始以降、守りが後手に回ったアメリカ軍に対して、北ベトナム軍は人的被害を省みず積極的に攻撃を加え、2月の中旬には北方に控えていた師団予備兵力3,000の投入も行われ、一時は戦力比が4倍にもなる兵力を投入した。これに対しアメリカ軍は77日間の戦闘期間中に1,120回にも及ぶ物資の空輸を行い、兵力投入がままならない中で空軍、海軍、海兵隊の各航空部隊が協力し延べ2,700ソーティーにも及ぶボーイングB-52戦略爆撃機 による航空作戦「ナイアガラ」を実施し約114,000トンの爆弾を投下、攻める北ベトナム軍に出血を強いた。また、4月に入るとようやく戦力に余裕の出てきたアメリカ軍が地上からのケサン基地解放作戦「ペガサス」を発令し、北ベトナム軍をこの地域からの撤退に追い込むことに成功した。

戦いの結果と影響

北ベトナム軍はテト攻勢の作戦地域となった南ベトナムの人口密集地域から30000人のアメリカ軍を引き寄せる事に成功し戦略的に勝利した。また、アメリカ軍は周囲が共産勢力の勢力下にあるケサン基地を維持するコストが高くつくことや、塹壕に対する航空爆撃の威力が比較的低いことなどから7月に入るとケサン基地を破壊して撤収することとなった。最前線のケサン基地を放棄するという決定はテト攻勢とともにアメリカ国民に大きなダメージを与え、これを境にアメリカ国民の中にベトナム撤退支持層が増えることにつながった。

脚注・参考文献

[脚注の使い方]
スタブアイコン

この項目は、戦争に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:戦争/PJ軍事史)。

  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース: 国立図書館 ウィキデータを編集
  • イスラエル
  • アメリカ
  • チェコ