エウナピオス

『哲学者およびソフィスト列伝』 1596年オランダのハドリアヌス・ユニウス(英語版)が刊行した希羅両語版の標題紙

エウナピオス: Εὐνάπιος, Eunapios, : Eunapius, 345年頃 - 414年[1])は、ローマ帝国期のギリシア語弁論家歴史家異教主義者。著作として、新プラトン主義密儀宗教第二次ソフィスト等の史料である『哲学者およびソフィスト列伝』と、断片のみ伝わる題名不詳の歴史書がある。

生涯

345年から346年頃、小アジアサルディスに生まれる[2]。同地にて、親戚かつイアンブリコス派新プラトン主義者のクリュサンティオス(英語版)に師事して育ち、若くして古典を諳んじられるようになる[2]

361年から362年の冬以後、約5年間アテナイに滞在し、キリスト教徒ソフィストプロアイレシオス(英語版)に師事して弁論術を学ぶ[2]。またアテナイにて、エレウシスの秘儀に与ったり、同時代のソフィストと同様に医学を兼学したりする(イアトロソフィスト(英語版)[2]。アテナイからエジプトに旅行しようとしたところ、両親に就職するよう請われて帰郷する[2]

以後サルディスにて、弁論術の教師として働きつつ、再びクリュサンティオスに師事する[2]。著述を始めたのはこれ以降と推定される[2]

著作

『哲学者およびソフィスト列伝』(: Βίοι Φιλοσόφων καὶ Σοφιστῶν)は、3世紀のピロストラトス『ソフィスト列伝』などを引き継ぐ形で、主に3・4世紀東方の哲学者とソフィストの評伝を述べる。具体的には、プロティノスポルピュリオスイアンブリコスアリュピオス(英語版)アイデシオス(英語版)ソパトロス(英語版)エウスタティオス(英語版)ソシパトラ(英語版)エフェソスのマクシモス(英語版)プリスコス(英語版)イウリアノス(wikidata)プロアイレシオス(英語版)エピパニオス(英語版)ディオパントス(英語版)ヒメリオス(英語版)リバニオスアカキオス(英語版)ニュンピディアノス(英語版)キュプロスの医師ゼノン(英語版)オレイバシオスクリュサンティオス(英語版)らを扱う。とくにマクシモス伝は、背教者ユリアヌス伝の要素も持つ[2]

題名不詳の歴史書は、『哲学者およびソフィスト列伝』の中で言及されており、オレイバシオスの勧めで書かれた[2][3]。本書は、アンミアヌスら多くの歴史家に利用され[3]、特にゾシモス(英語版)の『新しい歴史』(Ἱστορία Νέα)の材料になっており[4]コンスタンティノス7世の『史書抜粋(英語版)』に断片が収録されている。内容は、デクシッポス(英語版)の『年代記』(Χρονικὴ ἱστορία)が270年(すなわちクラウディウス2世治世下)で終わっているのを引き継いで、404年アルカディウス治世下)までの歴史を述べたものである[2]。論調は、異教主義的でユリアヌスを讃美するものだったと推定される[2]。9世紀のフォティオスによれば、キリスト教への攻撃的記述を除去した新版が存在した[5]

現代語訳

参考文献

脚注

  1. ^ 『エウナピオス』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j k 戸塚 2001, p. 402-407.
  3. ^ a b 松原 2010, p. 303.
  4. ^ 『ゾシモス』 - コトバンク
  5. ^ ウィキソースのロゴ 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:1911 Encyclopædia Britannica/Eunapius
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